2012年5月29日火曜日

ポートワインに酔う

「この街に決めた!」
とある魔女見習いの少女が1年間自分の好きな街で
生活して魔女の修行をするワーキングホリデーアニメは
皆様ご存知のことと思います。
バイク便ならぬホウキ便で居候しながらのその日暮らし。
旅人として憧れたり、憧れなかったり。
そんなアニメの舞台となったと言われる町は世界各地に
ありますが、ここポルトガルのポルトもその一つ。
(本当は北欧の街だと言われてるけど)
海沿いの小高い丘の街のてっぺんには時計塔が、
街のいたるところにはカモメが日本のカラスのように
跋扈しており、日夜落し物であるイワシの争奪戦を
猫と繰り広げています。

スペインはマドリッドから
オリーブ畑の続くのどかな道をバスで4時間


アニメを思い出す海沿いの丘の街が。。

城壁のような作り

続くオレンジ屋根がきれい

まずはさくっと昼間の街を見て回るが本当にきれいだ、やっぱり自分は
オレンジ屋根の町並みが好きみたいで癒される。また、やっぱり海沿いの
丘がそのまま街になっているのも非常に珍しい気がするけどどうなんだろうか?
車も入ってこれないような小道と階段だらけの街を散策するのは楽しい。

オレンジ屋根が広がる

癒され中

家の作りもちょっと面白い

楽しい形のアパート

 
小道の散策が楽しい
 
もちろん夜も雰囲気良くてオサレ

静かなポルトガルの夜

そんな、のんびりとゆったりとした街での目的は、
アニメの舞台となるほどの絶景を楽しみながらのポートワイン。
そう、ここポルトはポートワインの産地で、ポルト以外で作った
酒精強化ワインはポートワインと名乗れないほどの聖地。
酒好きとしてはここでポートワインを飲まずして去れない。
ということでさっそくポートワインの醸造所へ。

この大きな橋を超えた対岸に醸造所が集中

まずは大御所サンデマン。マント男の看板が目印の醸造所。
1日に何回も見学ツアーをしていて、それに参加。
説明は英語だがわかったようなわからないような。。。
ようやく試飲タイム、ホワイト、ルビー、タウニーの3種類を満喫。
知らなかったけど有名らしい

そのままの勢いで数件まわっていく。
結果、一番のお気に入りはクローンに。醸造所の規模としては
一番小さかったけどなんか美味しかった。

うまいっ

何年寝かせてんの?っていうセラー

酔っぱらってきたところで日も傾いてきたので夕陽スポット探し、
海沿いの丘にできた美しい街ポルトの夕陽を眺めて今日も完成。
また、ポルトガルは魚介料理が有名で西ヨーロッパでは格安の
国でもあるので市場の近くの安食堂でイワシの塩焼きや
タコ飯なんかもあり、ご飯もおいしい。

リスボンのレストラン街

旨かったタコ飯


この後に行った首都リスボンもきれいで丘の街中を走る路面電車
ときれいな町並みが絵になる非常にきれいな場所だった。
 
食べても飲んでも観光しても楽しいポルトガルは大好きな国の
一つになった。

2012年5月28日月曜日

2度目のスペイン

南米を発ち、この旅2回目となる
大好きなスペインにやってきた。
前回はバルセロナだったが、今回は
首都でもあるマドリッドだ。

2度目のスペイン入りでもっとも緊張したのが
俺のスペイン語は通じるか?である。
道を尋ねたり、入ったバルで店員とやり取りしてみると
南米とそん色なくスペイン語が通じるし、聞き取りも
多少しやすい気がする、こうなると俄然楽しくなってきた。

安宿に戻ると、偶然日本人旅行者と日本語堪能な
ベルギー人がいて話が弾んだ。
その夜先ほどの二人と週末の夜の公園が楽しいからと
誘われて向かうと、公園の至る所で学生たちが楽器を
奏でながらワイワイ飲んで騒いでいる。
ジャズやロック、様々なジャンルを演奏していて
それぞれの好きなところで飲んで騒ぐようだ。
自分達も気に入ったところに行ってビール片手に飲んでいると
周りから話しかけられたりして結構盛り上がった。
その中に、ヨーロッパ中からスペインに留学に来ている
学生の団体がいて、スペイン語がマダマダなの~とか言いながら
流暢に喋っていたりして意識の違いにショックを受けた。
やっぱり酒が入ると楽しい、知らない学生たちと騒ぎながら
夜も更けていき、マドリッドを楽しむことができた。

南米で時間を使いすぎて予定していた期限も迫ってきている。
物価の高いヨーロッパなのでここは足早く移動していこうと思う。
マドリッドを3日ほど堪能したのち、お次はポルトガルだ。

2012年5月25日金曜日

あぁ南米

自分がナゼ仕事を辞めてまで旅に出たかったのか。
ただ海外に行きたいなら年に一回何とか連休をとって
短期の海外旅行でいろいろな国に行くことも可能だろう。
しかし、それだけではどうしても辿り着けない場所。

それが南米だった。

南米に行くには日本から片道40時間。
1週間の連休でも移動だけでほとんど終わってしまう。
きっかけはウユニ塩湖の雨季の写真を見たとき。
絶対に行きたいと思った。
調べれば調べるほど現状の自分には難しいことがわかっていく。
そして「南米」というものの持つスケールの大きさ。
短期旅行だけでは攻略不可能だと思う。
思いは募っていく。
南米に行きたい。そして行くからにはありとあらゆるものを見たい。
南米に行きたいという思いがきっかけになって「世界一周」
という自分にとっては大きな夢を現実的に見れるようになったと思う。

この旅の最大の目的ともいえる「南米」を5月25日に
コロンビアより出てスペインに向かう。
12月29日にメキシコからベネズエラに入り早6か月。
足りなかった。充分時間をかけたつもりだったが足りない。
あまりにも広大な土地。「地球」の大きさを肌で感じた。
「大陸」という大きさを知った。

旅中つけていた記録を見直すと。
6か月いた南米で総合すると丸28日はバスの中だった。
あまりにも大きすぎる。痔になりそうだ。

そんな大きな南米はやはり手強かった。
最大の敵であり、楽しさの一つであったのが言葉。

始め、「スプーン」と「ナイフ」どころか「トイレ」
などの常識レベルの英語が通じないことに涙した。
「これは凄いとこに来ちゃったぞ」と
一人冷や汗をかいたものである。

中南米の基本言語はスペイン語である。
昔のスペイン人はデキたのか支配しすぎだ。
ブラジルがポルトガル語、ガイアナ3国が英語、蘭語、仏語。
となっているだけで他は全部スペイン語である。
大陸まるまるスペイン語しか話さないので現地人は
英語を覚える必要がない。よって英語しゃべれる人が
ほとんどいないというか、屋台のおばちゃんや宿のスタッフ、
駅のインフォなどまで英語を知らない。
ワンツースリーも知らない人が多い。

こちらが喋れないと宿で交渉できないどころか
どのバスがいつどこにいくらで向うのかもわからない。
しばらく必死で覚えた。
知りたいセンテンスを英語で書き出しスペイン語を
喋れる人にスペイン語に訳してもらったりした。

重要な単語たちも覚えた。
安い、チキン、トイレ、ホテル、キッチン、ビール。。。

2~3か月たった頃には中学1年生が覚える英語レベルの
スペイン語でなんとか交渉ができるようになった。
こうなってくると俄然楽しい。
英語が喋れるようになってきた時はただ感動だった。
しかしスペイン語は習ったこともない第2外国語。
現地人とのやり取りだけで少しずつ喋れるようになっていく。
物凄く楽しかった。でももっと喋りたい!という欲求に
実力がまったく追いついてこず、歯がゆい思いもした。

治安におびえ、言葉に困り、長距離バスでただただ移動する。
リスクばかりにも思えるが、本当に充実した楽しい毎日だった。
日本では感じることのできない「ラテン」の人たちに囲まれ
毎日カルチャーショックや怒りを覚える。
でも最後は必ず笑いになった。

そんな南米を去ることに寂しさで一杯だが
この旅2度目のヨーロッパは最初のヨーロッパとは違う
楽しみ方ができそうだ。

さよなら南米。

今日もきっとどこかで小脇に抱えた鶏をバスのトランクに
乗せようとしている客がいることだろう。
今日もきっとどこかで売店のおばちゃんがお釣りを間違え
ていることだろう。
今日もきっとどこかで旅人が災難にあったり親切を受けたり
しているだろう。

そんな南米にありがとう。

2012年5月24日木曜日

コロンビア論

「好きな国はどこですか?」
よく聞かれる質問だ。迷ってしまう。
しかし、コロンビアを訪れた後は違う。
即答できる。
「コロンビアだね。」

この国、特に有名な観光名所はない。
その上、コカインの生産地で有名で治安もすこぶる悪い。
「え?じゃぁ何がいいの?」と、聞かれても正直わからない。

この国は毎日違う。
これと言った特徴を言えないほどに多種多様。
首都ボゴタの新市街に行けば驚くような金持ちエリアがある。
かと思って旧市街に行くと浮浪者が車の往来の激しい道の中央
で立ちションしている。こんな国いままで無かったのだ。
コロンビアに向かう前に治安の悪さからかなり情報収集したが、
ろくな情報が出てこない。
名著「地球の歩き方」に至っては南米でも4番目にデカい国だと
いうのに、20ページしかないしその上首都の街の地図すらない。
載ってるホテルは1泊1万円以上だし、来るなと言ってるとしか
思えないような内容でビビりまくっていた。

そんな中コロンビアに到着し、バスターミナルで飯を食っている
と、隣のテーブルのコロンビア人がいきなり自分たちのテーブル
にお金を置き、「エンジョイ コロンビア」的なことを言って
去って行った。。。
その次にボゴタで道を聞いたおばちゃんは30分以上の道のりを
バスで一緒に案内してくれたし、カリで会ったおっさんは丸1日
市内を付きっ切りでガイドしてくれた。
そうかと思えば一緒に旅してた友達がちょっと離れた隙にナイフ
強盗に囲まれ財布を盗られている。
反政府運動をすると政府に殺されるから政府はマフィアだとか
市民は言ってるし、コカイン一大生産地だから本物のマフィアも
いるし。土日はすべての商店が閉まって人通りがなくなり路上に
残るのはホームレスと野良犬だけでバイオハザードにしか見えない。
この国まじで意味が分からないのだ。いい人に会った時のいい人
具合が半端じゃないし、悪人に会った時の悪さも抜かりない。
そんな中普通に生活しているコロンビア人。夜は家族みんなで
クラブで踊り狂っていたりする。

更にこの国、美人大国である。
デカいショッピングモールに行くと「美人以外入店禁止ですか?」
と問いたくなるほど美人しかいない。しかもふつうフランス美人
とかだったら背が高くてスラッとして色白金髪お姉ちゃんとかを
想像できるが、コロンビア美人はあらゆる角度の美人尽くしで、
金髪白人や黒髪オリエンタル、ナイスすぎるバディな黒人が全て
コロンビア人だからすごい。

そんな意味不明国家コロンビアを好きな旅人は多く。
あの国をどう表現するかを何度も語り合った。

本来混ざることのない水と油がきれいに混ざった国だとか

○○人と言うと少しはイメージが湧くものだけどコロンビア人
についてはうまく言えないとか。

カオス(混沌)の一言だとか

恐らく何度コロンビアに行っても印象は違う物になると思う。
南米を旅してもコロンビアに行かない旅人は多い。
しかし、コロンビアは最高に楽しい国なので是非!!


最後に、コロンビアのボゴタに最高の映画館がある。
世界で2番目のスクリーンサイズを誇るIMAXシアターで、
スクリーンの高さが約30m(ビル8階建て相当)と規格外のサイズだ。
更に360°スピーカーが40個以上設置されて凄いことになっている。
チケットオフィスで「お勧めの席をお願い」というと想像以上に
後ろの席を指定されて不安になるがそこで大丈夫ですw
場所はPlaza de las Americasというショッピングモールの中。
隣に映画館があって間違えやすいがお目当てのIMAXはモールの
奥の方にあるのでお気をつけて。

2012年5月20日日曜日

常春の国

赤道直下の国エクアドル。
さぞ暑いことだろうと思って行ってみると
そこは花咲き乱れる常春の国だった。
実は首都キトは2000m以上の標高があり
想像以上に涼しいというか朝夕は寒い。
しかし、標高が下がり海沿いになるとかなり暑く、
滞在場所によって自分の好きな気温が選べてしまう。

そんなエクアドルの通貨はなぜか米ドルで、物価が
がすこぶる安い。
観光の目玉と言えばガラパゴス諸島!
しかしお金と時間がない我々は今回はパス。
ガラパゴス以外の観光地があまり思いつかない国だが
温泉が国内各地にあったりビーチでくつろいだりと、
長期旅行者には非常に居心地のいい国だったりする。
街で会った在エクアドルアメリカ人によると首都の
新市街で庭付き一戸建てが月300ドル程と羨ましい話も聞けた。

ただし、この国は治安がめちゃくちゃ悪い。
街中で警官を見る回数がほかの国に比べて圧倒的に少ない。
という訳で、安全を買うために少し高い新市街地で滞在して
いたのだが、見事に日中の人通りある新市街地で初強盗に
出くわした。

あとから思うにあいつはデビュー戦だったのではないか?
通りを歩いているとデカい黒人(キューバ人?)が後ろから
「マニーマニー」言いながらしがみついてきた。
暴れるのを防ぐためか両手を使って俺の両手を拘束している。
OK、OKといって財布を出そうにもお互いの両手は塞がっていた。
残念な強盗は興奮のためかそれには気づかず俺の拘束に必至だ。
そうこうしているうちに、通りがかった女性が悲鳴を上げてくれ
強盗は走り去っていった。結局何も盗られることなく事なきを
えることができ、非常にラッキーだった。

治安が悪すぎるのがタマにキズなエクアドルだが、治安さえ
回復すればかなり過ごしやすい国だと言える。
今回、早めに買った南米出国チケットが邪魔をしてなかなか
時間を取ることができず、殆ど通りすぎるような形になってしまった。
それでも温泉と、最大の観光目玉赤道モニュメントには行ってきた。
温泉は、クエンカとエルバーニョスを梯子。

クエンカはきれいな街で気温もちょうどよく過ごしやすい。
街から30分ほどバスに乗って温泉街に着いた。
温泉はいくつもあり、ぬるめだったが広くきれいで堪能。

次の町のエルバーニョスは田舎町だった。
深夜バスで、途中下車になるためスタッフに着いたら教えてとお願いしたが
見事に通り過ぎ、訳の分からない場所におろされ朝方まで軒下で震える羽目に。
ようやく通りかかったタクシーに乗って
「マス カリエンテ バーニョス ポルファボール」(熱いとこがいい)
と言ったら日本人好みの熱々な温泉に連れて行ってくれ、蘇る事ができた。
町自体もツーリストプレイスと言った感じで楽しめそうだ。

そして締めの赤道モニュメントはシンプルisベストを地で行く
デザインになっていてかっこいい!
しかし、モニュメントは実際の赤道とは何mかズレているらしく
本当の赤道は近くの赤道博物館を通っており、そこでは
赤道上、南半球、北半球側を行ったり来たりしていろんな実験
ができる。流しで水を流した時に出来る渦が北と南では逆巻きで
赤道上では渦は発生しないとか意外と面白い。
赤道上では気合と集中力があれば生卵を立てて置くこともできる。
意外と楽しいエクアドル。時間のある旅人は是非!!

2012年5月6日日曜日

砂漠でオアシス

マチュピチュを堪能しクスコを離れバスに乗る
18時間ほど乗っているとナスカの地上絵で有名な
場所にやってきた。
測量ミスでナスカの地上絵を横切っている道路
をそのまま走り続け通り過ぎる。
さよならナスカ

そこからすぐの町でバスを降り、タクシーで20分
程、周囲は砂漠地帯と化している。
そこにポツンとオアシスが見え、それを囲むように
小さな町ができていた。
本日の目的地ワカチナに到着!






バスの乗りすぎで痛くなったケツをさすりながら
ホテルにチェックイン。そのまま今日の夕方の
砂漠をバギーで爆走ツアーに申し込む。
宿で少しのんびりした後町の中を散策。
といっても町の中心の小さな池の周りを散策すれば
ほとんど終わりだった。

夕方4時ごろドデカいバギーが宿に乗り込んできた。
砂漠でバギーツアーの開始である。
しかしドライバーは心配したくなるようなおじいちゃん。
大丈夫だろうか。

バリバリと音を立てながら町の中を疾走し、そのまま砂漠へGO。
先ほどの心配は無駄だったようで、大ベテランの
じいちゃんドライバーはこれでもかと砂漠の中を
疾走していく。っていうかもうジェットコースター状態だった。
これひっくり返るだろと思うような坂道を駆け上ったかと
思うとUターンしてそのまま下り始めたりと相当なスリル。


 
 


砂漠を爆走した後はスノーボードを履かされサンドボード。
板にはエッジがなく、砂では滑りも悪い。
立って挑戦してみたがなかなかスピードが出ない。
2回目は板の上に寝てそのままチョッカる。
視線が低く直線なのでなかなかのスピード感で楽しい。
是非スキーでもトライしたかった。



サンドボードを楽しんだ後は夕陽ポイントへ。
予定時間より遅れたためもう日は沈みかけていたが
砂漠にゆっくりと沈んでいく夕陽はきれいで、幻想的だった。




サンドバギーツアーを堪能し、夕食を食べた後は
徒歩でもう一度砂漠に戻り、登ってきた満月を眺める。
でかくきれいな満月は迫力があり美しかった。
後で知ったが、この日の満月はスーパームーンだったらしく
普段よりも大きく見える満月だったらしい。



もっとゆっくりしたかったが、予定が詰まってきているので
1泊だけでこの町を出た。また来たいな。



次に向かった町はペルーの首都リマ。
なかなかの巨大都市だったが、見るものも特になさそうなので
さくっと情報収集だけしてとある液体を求めアマゾンの奥地に向かった。

2012年4月29日日曜日

天空都市

天空都市マチュピチュ。
観光拠点となっているペルー、クスコにやってきた。

さっそく街中の旅行会社でマチュピチュツアーを契約。
時期がちょうどゴールデンウイークであったこともあり
安い列車のシートは全て売り切れ。高級シートしか残っていない。
街中も日本人がかなり多い。
貧乏旅行者である我々はインカトレイルを半日かけてミニバス
で向う命も体力もギリギリツアーに参加することにした。

まずはクスコ観光。
剃刀一枚入らないと言われるインカの石造りの町は本当に綺麗で
通路が延々と続いている。遺跡とスペインのコロニアルな感じの
街がいい感じにミックスされて歩いているだけで楽しい。

クスコの中心広場にあるコロニアルな教会

剃刀云々な壁

噂の14の角をもつ石

ずっと続くインカの石造り

そんなクスコでもお土産探し。
ペルーはボリビアに比べると物価は上がるがまだまだ安い。
そんなクスコでバックパッカーの間で有名なお土産が靴。
南米カラーな派手な色の布を使ったハンドメイドブーツやスニーカーが
1000円以下~3000円ちょっとで手に入る。
しかもオーダーメイドにも対応してくれる店が多い。
スペイン語で交渉しながら布や色を選ぶことができるらしい。
残念ながら靴としてのクオリティは日本で手に入るものと比べると
かなり落ちるが、独特のデザインが見ていて楽しい。
ということで浮かれて一足買ってしまった。いつ履こうかな。。。

所狭しと並ぶかわいい靴たち

ブーツ系は色使いが多くて見てて楽しい

土産物巡りも終えて晩飯へ。
「地球の歩き方」に載っていた日本人の経営するペルー料理店。
「Pucara」に向かう。今まで日本人が海外で経営するレストランは
ほとんど日本食レストランだったが、ここは現地料理でしかもペルー
屈指の観光地で戦っているお店だ。うまいに違いない。
期待に満ちた状態で料理を注文する。
頼んだのは現地の鱒「トゥルーチャ」のスパイシークリームソース
とかいう料理。めちゃくちゃ旨かった。とにかく旨かった。
あまりに旨すぎたので2回行ってしまったw
クスコに訪れた際には是非是非行って欲しい。

BBQやニンニクスープ

我慢できずに食べちゃった
トゥルーチャクリーム

おいしいペルー料理も堪能しお次はいよいよメインのマチュピチュ。
朝早くに集合しミニバスに押し込められてバスはガンガン進んでいく。
途中までは舗装され乗り心地も良かったが途中からはインカトレイル
の一部に入り、道路は崖っぷちの車幅一杯で道中には落ちて朽ち果てた
車が見えたりした。明らかにボリビアのデスロードよりデスロード。
戦々恐々のまま長時間ミニバスで体力も精神力も削られていく。

すれ違い怖すぎ

谷底には惨劇の跡が。。。

そろそろ日も暮れかけたころ。ここから先は車が行けないのか
歩きで行くことになる。インカトレイルを歩いていると夕闇に
マチュピチュの横顔がチラッと見えた。いよいよと言った感じで
テンションも上がるがインカトレイルは甘くない。そのまま日没を
迎え暗闇のなかヘッドランプをつけて進むことになった。
本日のゴールであるマチュピチュ村に着いたのは20時近くで
もう辺りは真っ暗で一同ぐったりとしていた。
最初の説明では17時には村についてる予定だったのに。
ツアー参加者が指定の食堂に揃うと慌ただしくスペイン語と英語で
ツアーの概要が説明され、チケットを渡された。
訳すと、明日の朝7時くらいにマチュピチュのエントランスで待ってるから
勝手に来てね。歩いていくと1時間ちょっと、だるい人はバスがあるから
それを探してのってね~。と言った感じのユルさ。
この手の緩さには慣れてしまったので不服はないがマチュピチュでも
これか。南米の手抜きには抜かりがない。

むさぼるように出された晩飯を食べ終え、ちょこっと村内を散歩した。
そういえば、マチュピチュ村は奥地のド田舎を想像していたが。
夜20時を過ぎてもきれいに整備されている村内はツーリスト向けに
開拓され、バーやレストランが煌々と光り輝いている。奥には
クラブまであって近づくとがんがん音が聞こえる。南米の奥地、
天空都市マチュピチュのおひざ元は潤いきっていた。。
村にある夜間対応のサッカーコート
 
夜もにぎわい潤っている

明かりを放つおされなバー

村の奥にはひっそりとクラブ
 
明日に備えて早めに就寝。疲れきっていたのでぐっすり眠る。
翌朝5時頃起きてマチュピチュを目指して歩いて登り始める。
空は雲がかかっていて日の出を見ることは出来なかった。
7時少し前にエントランスに到着するとエントランスにはもう結構な
人がいる。ゴールデンウイークのおかげで日本人がかなり多い。
自分たちのガイドを見つけ少し待つと人が揃ったのか中へ。

中に入ると圧巻の景色が広がっていた。
住みやすさよりも景色で選んだと思われるインカ人の本音が見える。
マチュピチュの中ではそこかしこでリャマが草を食み絵になっている。
村からマチュピチュへと続く道

朝日は雲で残念だった。。

優雅なリャマ

いきなりの景色に有頂天

感動しているところでガイドによる説明がスタート。
久しぶりの英語だったけど割と聞き取れる。
ガイドの説明の5割位を理解しながらマチュピチュ観光を楽しんだ。
なかでも面白かったのはアヤワスカと呼ばれる最強の幻覚成分を
もつアマゾンのツタからとったエキスを飲んでキまった後。
ダッシュでワイナピチュに登る儀式があったそうだが、通常片道
1時間以上かかるのに25分程で登り切っていたらしい。インカ人すげぇ。

他にも有名な太陽の日の出の位置に合わせて作られた天文台や
正確に北を指して置かれている石、とんでもなく大きな石まで
剃刀1枚云々な石垣にされてたりと、高度な独自の文明だったとわかる。
1時間ちょっとでガイドも終了し、あとは帰りのバスの時間に集合
場所にたどり着けばいいのでゆっくり見て回る。
見張り小屋まで行くと有名な教科書の景色が拝むことができた。
天気も良く、最高の景色を堪能する。
図面なんかいらねぇんだよ!な造形

ピッタリと方角を示す石

優雅な感じの階段

景色はいつでも抜群です

ワイナピチュかっこいい。

日本人の行きたい世界遺産第1位がマチュピチュだそうである。
ここに座ってゆっくりとマチュピチュを眺めていると第1位を獲得
するだけの文化と自然遺産を併せ持っていたことがわかる。

遺跡でテンションUPな状態
 

眺めてても飽きない。
 

まじカッコイイ!
見張り小屋からの有名な角度。

スペインの侵略を受けた南米でインカ文明はかなり手強かったそうだ。
しかし、兵農兼業であったインカ人は農繁期に入ると戦争を中止し、
畑に戻ったところを一気に侵略されてしまったらしい。
そんな迂闊で平和思想なインカ人の遺跡は最高だった。

マチュピチュ観光を終え、最後にマチュピチュ村のぬるーい温泉に
浸かって疲れを落とした後にまたあのバスに揺られてクスコに帰った。


さよならマチュピチュ
また行きたーい。